私の一冊 383号

『水俣病』

私の一冊 378
  • 『水俣病 』
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  • 原田 正純 著  (岩波新書) 

     
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  •                         児島 芳樹       

 高校に入学する前の春休み、現代国語の教師から課題図書として指定された。「公害の原点」ともいわれる「水俣病事件」について、初めて知る事実には驚くばかりだった。この本が出された1972年は、水俣病の原因企業チッソの責任を問う初めての裁判が進行中で、著者の原田さんは、医学の専門家として原告の患者家族の裁判支援にも関わっていた。

 チッソは、「ネコ実験」を通して工場排水が水俣病の原因であることを知りながら、「御用学者」らの力も借りて原因究明を妨害し、排水を流し続けた。行政は、漁民や患者らからの訴えにも関わらず、チッソの工場排水に対して何の対策も取らず、被害を拡大させた。水俣病の患者たちは、健康被害だけでなく地域社会で過酷な差別も受けた。追い詰められた患者家族が、最後の手段として訴えたのが、裁判だった。この裁判のため、原田さんを含む医者、法学者、弁護士らが手弁当で集まり、チッソの過失責任を立証する理論の準備に取り組んだ。そして、水俣病の公式確認から17年後の1973年、熊本地裁は水俣病に対するチッソの責任を認め、患者家族は全面的に勝訴した。

 本書は、「水俣病事件」の途中経過の記録でありながら、その内容は今も全く古びない。それは、「水俣病事件」が明治以来の日本の〈近代〉のあり方に関わる普遍的な意味を持つためであり、同時に、本書が一人の人間がその意味を誠実に受けとめようとした記録でもあるからだ。 「水俣は、医学をひとつの職業として選んだ者としての私を告発し、目を開かせてくれた」原田さんは、水俣の患者たちとの出会いから、「医学とは何か」を深く考え、学問のあり方を終生問い続けた。2004年になって、最高裁判所は、水俣病に対する国と県の責任を認めた。しかし、「水俣病事件」の教訓は生かされず、東京電力・福島第一原発事故で、過ちが繰り返された。

 現代国語の授業では、私たちに感想文を書かせ、それを印刷して配ったが、教師はなぜか事件ついての評価を一切語らなかった。私たちの中に、「何か」が残された。

                     

(NHKラジオセンター ディレクター)