私の一冊 373号

『しなやかさというたからもの』

しなやかさというたからもの
  • 『しなやかさというたからもの』
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  • 国分一太郎 著/(晶文社) 
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  •                         川上 賢一        

 千葉の田舎で育ったので、本とのおつきあいは高校生になるまで些細なものでした。中学の図書館にあった、「シュバイツアー全集」を全巻読み通そうと挑戦したものの数巻で挫折、やっぱり部活や外で遊ぶことに熱中していました。

東京の書店で働きはじめて、出会った本でなにか懐かしくて、ずっと持っている本に国分一太郎さんの「しなやかさというたからもの」(晶文社・1973年初版)という本があります。こどもが育ちながら遊びを覚えていく過程で、身に着けてゆく能力を、その由来とともにやさしく、ていねいに書き綴ったもので、都会生活者となつた当時の生活の中で、そこに書かれていることが無性に「なつかしく」、いまも書棚に並べています。

 著者はいろいろな著作で多くの子どもが遊びや手伝い仕事で覚えてゆく身体的能力の多くを紹介していますが、本書では「キル」「コギル」「ブッタギル」「こく」「とぐ」「おる」「ゆう」「える」など十七つの習得する能力について語っています。

 著者は言います。「自然がどのようなものとして、子どもの前にあらわれるにしても、まず、からだで感覚でそれをうけとめる経験を、かれらにはもたらさねばならぬ。子どもは人類の歴史の知識とことばとで、それを教える前に、五感や行動でそれをつかむ時代をへさせばならぬ。そうでなくては第二の自然としての人間の幼い世代には育たない。子どもたちには『ひまな時代』が存在するのである。いや存在しなければならぬ」と。例えば、ひら仮名で「える」表されるとなんだと意表をつかれますが、読み進むと「選る」ということを指しますが、これが子ども時代の生活の中で身についた能力であったという、まったくあたりまえのことを自覚するとともに、忘れさったことを思い出します。子ども時代を追体験しつつ、自然に戻りつつある老年にかかりつつある自分と周り(自然や人的環境)を改めて考えさせてくれる、なつかしい本です。

 40年経ち、黄色味を増したページの手触り、目ざわり?も好きです。

                      

 (地方・小出版流通センター代表取締役)