私の一冊 371号

『私の一冊』

私の一冊
  • 『私の一冊』
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  •                         斎藤 惇夫        

 子どもの頃に夢中になり、今でもまだよく読み返す物語が、私にとっての児童文学なのですが、さてその中で「私の一冊」となると、私が十歳の時に創刊された岩波少年文庫の中から選ぶことは間違いないにしても、沢山あるどの物語をひろげても、子どもの頃に向き合っていた遥かな宇宙が目の前に見えてきて、答えに窮します。

 この五月に新しい物語を書きあげました。河童と天狗と九尾の狐が、私の故郷の信濃川の河口から、水源の甲武信ヶ岳まで辿る冒険物語(ファンタジー)なのですが、書きながら、無意識のうちに、『たのしい川べ』と『ホビットの冒険』と宮澤賢治をなぞっていることに仰天しました。川辺を辿ることからして『たのしい川べ』の影響大ですが、物語の構成、とりわけ「行って帰る物語」を目指していたことには、『ホビットの冒険』の影響を感じましたし、動物と人間の激しい緊張関係には、賢治から教わったことが現れています。『なめとこ山の熊』『氷河鼠の毛皮』『注文の多い料理店』『オッペルと象』などの、賢治の言葉を抑えるのに苦労したほどです。いずれも、韋編三絶と言いたいほど繰り返し読んできた物語です。 

   

 そう言えば編集者をしていた頃、川を語る川ネズミの真似をして、『たのしい川べ』と『ホビットの冒険』と、宮澤賢治の幾つかの作品があれば、「ぼくは、もうほかには、なんにもいらないなあ」と呟き、よく顰蹙を買いました。編集者にあるまじき暴言であることは、無論承知していたのですが、そう言わざるを得ない状況が目の前にあったのでしょう。この中から「私の一冊」を選ぶこともできるのでしょうが、そうすると、多くの物語が「裏切り者め!」と私を糾弾し、私の全存在を否定するにちがいなく、ここ数か月に限り、という条件付きで、これらの物語のどれか、としておいて下さい。

                      

 (作家)