私の一冊 368号

『ある家族の会話』

ある家族の会話
  • ある家族の会話
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  • ナタリア・ギンズブルグ作 須賀敦子訳   (白水社)
  •      高楼 方子        

 この一年に読んだ本の中で最も魅了されたのは何だったろうと思い巡らせたとき、そうそうこれこれ! と嬉しさとともに浮かびあがったのが、『ある家族の会話』(ナタリア・ギンズブルグ作/須賀敦子訳/白水社)だ。原書は1963年、邦訳が出たのは95年。古本屋で立ち読みして夢中になり、買って帰ってだいじに少しづつ読み終えるまでの数日間は、もう一つの日常と並行して暮らす本当に幸福な日々だった。

 1916年、五人兄弟の末子としてイタリアに生まれた作者が、家族の思い出を年代に沿って綴ったものだ。それはちょうどファシズムの影が差し始め、勢いを増していく時代と重なり、家族もまたその波と関わりながら生きていくことになる――どころか、兄弟たちは積極的に抵抗運動をし、両親は子供たちを支援するという過酷な日々を送るのだが。けれども綴られる思い出の根幹にあるのは、昔そこで交わされた家族の会話なのだ。

 頑固だがどこか滑稽で、すぐに「呆れたロバだ」などと人をののしる父親と文学や音楽好きの母親が中心的に描かれるが、彼らの発言のみならず、友人や親戚たちの言葉、さらには彼らの記憶の中の人々の発言まで――昔、通りで見かけた紳士が「おやおやおや、お首がちと長すぎる」と飾り窓の中の人形を見て言ったというようなたわいないことまで繰り出される。子供たちはそうした言い草を真似ながら育つ。長じてばらばらになった後も「何度も口にした、あの子供のころの言葉ですべてが元通りになるのだ」というほど、それらの言葉は家族を家族たらしめる紐帯なのだった。その豊かさ面白さ、そしておかしさ! 何度吹き出したことか。

 それらを通じ、一人一人の個性、人生に対する考え、彼らの暮らし、そして時代が生き生きと伝わってくる。訳者の須賀敦子氏はこの書に出会い感嘆し、羨望さえ覚えたという。日本語の訳がすばらしいわけである。

 何度も読みたい本がまた一つ増えた。

                       

 (児童文学作家)