私の一冊 336号

海のたまご

私の一冊 335号
  • 『海のたまご』 
  •     
  •   ルーシー・M・ボストン著 /ピーター・ボストン絵        
  •   猪熊葉子 訳  (岩波書店) 
  •       猪熊 葉子         

 幼い頃四人弟妹の長女の私は毎夏いつもひとり房総海岸の伯母の家に一夏預けられていた。同い年のいとこがいたので、遊び相手には不足なくホームシックにもならず、日々二人で海岸に行き遊びほうけたものだ。海に近づくにつれて強い潮の匂いがする。すると私たちはわくわくして走りだす。そして泳ぎつかれ浜に上がると、監督役の待っているよしず張りの茶屋でお決まりのゆで小豆を食べ体を温めてから帰るのだった。海に近い伯母の家には真っ赤なカニが部屋のなかまで入ってくる。疲れていてもふみつぶさないように注意したものだ。今振り返ってみるとあの海辺での夏休みは別世界の出来事のように思われ懐しさで一杯になる。海について楽しい記憶をもつ私が後年『海のたまご』を愛読するようになったのは自然だった。 

 コーンウオールの海に夏休みを過ごしにやってきたトビーとジョーの兄弟はある朝早くエビ取りの男が見つけてきたたまご型の石を手に入れ、自分たちだけが知っている海岸の潮だまりにそれを置く。二人はその石がトリトンのたまごだと信じていたのだ。期待通り石のたまごからトリトンが孵る。「笑いが目にみえる姿になったもののような」トリトン、のんびりと昼寝しているアザラシなどと付き合っているうちに兄弟は泳ぎが上達して親を驚かす。

 私たちは大震災でいやというほど海の脅威を見てしまったので以前のように無邪気に海に向きあうことができなくなってしまっている。確かに海は恐ろしい。でもそればかりが強調されるのは残念だ。『海のたまご』は、子供が持っている空想力、感受性、観察眼、行動力などが生き生きと働く時に海はその神秘な美しさと人間の可能性を育む素晴らしい力を見せてくれることを目に見えるように描いた美しい物語だ。脅威と美、それを合わせ持つのが自然というものなのだ。そのことを忘れずにいようと思いつつ何度目かに本を手にする私である。

                                    

(児童文学研究者・翻訳家)