私の一冊 331号

ファンタジーと言葉

  • 『日本の思想』   (岩波新書)
  •     
  • 丸山真男 著       
  •  
  • 児島 芳樹

 1980年代のバブル時代、欧米から最新の「現代思想」が次々と紹介され、「ポストモダン」がもてはやされた。当時大学生だった私も、少し背伸びして流行を追いかけようとしていた。その頃たまたまこの本に出会い、その面白さに衝撃を受けた。

 第一に、鋭い現実感覚。日本では外来の思想を貪欲に取り入れながらも、それが伝統として蓄積されない受容の構造や、「理論信仰」とその裏返しの「実感信仰」との悪循環など、鋭い分析を背後で支える確かな現実認識に感心した。第二に、柔軟な思考。例えば、「である」ことと「する」ことという日常の言葉を入口に近代精神のダイナミズムに光を当て、民主主義は「不断の民主化によって辛うじて民主主義でありうる」と論じる。「目から鱗」の気づきにあふれた柔軟で自在な思考は、考えること本来の面白さを教えてくれた。第三に、切実な問題意識。語り口は冷静でも、その背後には熱い問題意識が脈打っていた。それはあの「戦争」への苦い思いである。「戦争体験をくぐり抜けた一人の日本人としての自己批判を根本の動機としており」と記す。丸山は戦時中に特高に逮捕された経験を持ち、徴兵されて軍隊生活を送り広島では被爆もしている。「戦争」という不条理を帰結した背景を日本人の思想の構造にまで遡って考え抜いたのが、この作品だったのだ。

 この本と出会ったことで、私は「ポストモダン」を有り難がるのをやめた。そして、日本の優れた先行者達の仕事に興味を持つようになった。同じ頃、久野収・鶴見俊輔の『現代日本の思想』や内田義彦『読書と社会科学』も読んで、その素晴らしさに圧倒された。その後、評論・文学・映画など「戦後民主主義」に思いを託した様々な仕事にふれて多くを学ぶことになった。丸山が危惧した偏狭な「ナショナリズム」やそれをあおる政治家は今も相変わらずだが、「日本の伝統はもっと多様でもっと豊かだー」そんな当たり前のことに、遅ればせ気づくことができた。初版は61年。現在は第92刷(2010年版)まで版を重ねるが、その輝きは色褪せない。 

                          

(NHK宇都宮放送局ディレクター)