私の一冊 330号

ファンタジーと言葉

  • 『ファンタジーと言葉』    (岩波書店)
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  • アーシュラ・K ル=グウィン著 青木由紀子 訳         
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  • 長谷川 摂子

 私の娘は五歳のころからひとりで本を読むようになった。そのころ、本を読みながら、彼女はいつもぶつぶつと唇を動かしてつぶやいているのである。どうも読んだ文章を次から次へ口で唱えているらしい。私は聞いていてわずらわしくなって、「眼で読んだら」と、黙読をすすめた。「えっ、眼で本が読めるの!」と、彼女は眼をまるくして驚いた。本を読むということは先ず文を声にし、それを耳に響かせるというプロセスをとるものと思っていたらしい。今、私は自分の忠告が良かったかどうか迷っている。言葉を伝え合うことの本質は声と耳にあるのだから、思えば彼女の方が本質に即していた。彼女の中で自然に黙読へと移る過程を強引につぶしたのはちょっと残念な気がする。

 言葉の伝え合いは声と耳からということを深く印象づけてくれたのは、『ゲド戦記』の作者、ル=グウィンのエッセイ、『ファンタジーと言葉』〔岩波書店〕の中の「語ることは耳傾けること」という一章である。そこには耳を傾けて聞いているときの聞き手の肉体の生理的反応が科学的に立証されていて、読んでいて眼が覚めるようだった。

 聞き手も語り手も人間という生き物だから、心臓も細胞も生きている限り、一時も休まず脈打ち、リズムに乗って生きている。ひとりがそのリズムにのって語っているとき、耳を傾けている聞き手の生理的リズムも相手のリズムにどんどん同調していく。だからよいリズムの文は両者の間に心地よい身体的連帯感を築いていくらしい。そんな幸せな一体感から、古代の歌垣や平家語りや謡曲が人々の間で楽しまれてきたのだと思う。もちろん、昔話を聞くこと、語ることも例外ではない。聞き手は子どもたち。柔らかな子ども達の肉体だからこそ、楽しいリズムにのった言葉は消えることなく深く刻まれることだろう。声と耳こそ人間同士のコミュニケーションの基本である。声と耳で言葉の楽しさを知った人生は読書もふくめてまたとなく豊かだ。  

                          

(絵本作家)