私の一冊 329号

アンデルセン童話集

リンゴ畑のマーティン・ピピン
  • 『アンデルセン童話集』
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  • 西 成彦

 あれからもう十五年にもなるが、熊本子どもの本の研究会がご縁で知り合った鶴見俊輔さんから誘われ、雑誌『思想の科学』の終刊号にエッセイを書かせていただいた。「ガラクタとしてガラクタに接する――私の方法叙説」と題して、いわゆるガラクタが廃棄可能なごみではなく、感情移入の可能ないきもののように思えてしまう瞬間のことを書いた。それまで子供だましのように思えていたアンデルセンの童話が、とても身近に思えるようになった瞬間だった。「しっかりものの錫の兵隊」という片足しか授からなかった不良品の人形が波乱万丈の冒険をくぐりぬけて、一人前に恋までする。錫の兵隊さんと、置物の踊り子は、最後の最後で焼かれ、融けてしまう。子どものころは、おもちゃが主人公だというところに痛快さを感じたにすぎなかったが、おとなになるといちいちが身にしみる。兵隊さんと踊り子の恋も劇烈だし、なにより不良品の兵隊にも命があり、人生がある。最後に融けてしまいはしても、生まれたそばから処分されるのではなく、短いながらも人生を与えられた。買い物に行って、売れ残りがたどる運命を考えると物悲しくなるのは、子どものころアンデルセンの洗礼を浴びたからだ。モノだといって粗末に扱ってはならないし、傷物だからといって切り捨ててはならない。モノを粗末に扱うあなただって、傷物から目をそむけるあなただって、ガラクタに毛が生えた程度ではないのか。それでも生かしてもらっているじゃないか。さまざまな生き物やモノに囲まれて暮らしながら、地球上でニンゲンが無類の傲慢ないきものだとすれば、自分もまたガラクタなんだということを忘れているからだ。たまたま障害を持って生まれたわけではないとしても、そのくらいで驕るべきではない。そういう、人間が生きるうえでたいせつな考え方を子ども時代に植えつけられるのが児童文学だと思うのである。人間も、その他の生き物も、そして生活に欠かせない数々の品々も、みんなデクノボウのガラクタだからこそいとおしい。

                   

(比較文学者)