私の一冊 325号

米百表

  • 『米百俵』―小林虎三郎の思想
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  •          山本有三 著     (財団法人 長岡市米百俵財団)
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  • 吉丸 良治

 子供の頃は、話し好きの祖父の寝床に入って、祖父の話しを聞きながら寝入るのが日課みたいなものであった。これらの影響か、私は歴史ものの本が好きである。

 かつて、『米百俵』は読んだかと問われ、急いで書店で探したが見当たらない。ようやく、新潟県長岡市から取り寄せることができた。舞台の越後長岡藩といえば、河井継之助を思い出すが、同じ長岡でも主人公は、小林虎三郎である。小林は、明治の夜明けを予見し、参戦に反対して、恭順を説き、領内の平和を強く主張していた。

 しかし、この戊辰戦争で越後長岡藩は、三度も戦火にあい、破れ、惨たんたる焼け野原となっていた。藩の石高は、七万四千石が、三分の一の二万四千石に減らされる。これからどう生きるか。藩士の家族は三度のおかゆさえ満足に取れない状況がつづく。  そのおり、支藩の三根山藩から、お見舞いの米百俵が届く。藩士たちは、一刻も早く米を分配せよと大参事の小林虎三郎に迫る。脇差を畳に突き刺し即刻分配せよと迫ってくる。

 小林は、病をおしながらも、頑として「分配はしない。米百俵で学校を建て、子供を育てる。これよりほかに長岡を生きかえさせる道はない」と。「辛いだろうが辛抱してくれ、明日の長岡を考えろ」と藩士を説く。ついに明治3年6月長岡に粗末だが、学校が建つ。これが国漢学校である。

 それから幾星霜、この小さな長岡から東京大学総長、アメリカ大使、山本五十六連合艦隊司令長官など、キラ星のごとく偉才を輩出するのを不思議に思った山本有三は、長岡をつぶさに調べ、ついに原点である『米百俵』を書きあげたのである。昭和18年5万部を出版。大変な話題を呼ぶが、当時の軍部から、平和の思想で「反戦作品」と烙印、絶版となる。

 平成2年2月私は、雪深い中、国漢学校の流れを受継いでいる長岡高等学校の校長を訪ねた。この地方に残る、人を育てる熱い気風みたいなものを強く感じた。十余年後、新装になった『米百俵』と、英語版『米百俵』を届けていただいた。何度読んでも気概に満ちた指導者の姿は感動的である。

                 

(熊本県文化協会副会長)