私の一冊 313号

日本三文オペラ

日本三文オペラ
  • 『日本三文オペラ』
  •     
  •          開高健 著        (新潮文庫)
  • 春木 進

 謙遜でも自虐でもなく、自宅庭に大型犬の小屋ほどの書斎を持っている。三年ほど前、本とジャズCDの数がほぼ同数〔二千五百程度?〕に達し、どちらかの廃棄を迫られた。結論はすぐ出た。古い本はもう読まないだろう。どうしてもという本を残して廃棄することにしたら、頼んだ人がほぼ全部の本を捨ててしまった。まっ、いいか、と思った。持っていた本の中で、何を最初に買い直すか、楽しみでもあった。結果は、表題の通りだ。

 『日本三文オペラ』は、大阪城近くにあった旧陸軍砲兵工廠跡地に埋まる金属類を笑う〔盗む〕ことで生き抜く在日朝鮮・韓国人のしたたかな物語である。終戦直後の世界。

 生き抜くために官憲をだまし、抱き込み、仲間内では卓抜なリーダーを得て、見事なチームワークを形成する人々。「アパッチ族」という命名が、実に鮮やかだ。

 おそらく、開高氏は綿密な取材で、この物語を完成させたはずで、ノンフィクションに近い小説である。各章の初めには警句もある。例えば…「人生の解、諸説紛々 どうなろうとも知らぬこと。 失う人格持つ奴に 礼儀を論じさせておけ」〔バーンズ「愉快な乞食」〕

 生まれつき、東京発信の文化、管理など一切にアレルギーを持つ私は、高校生の時に何度も、この本を読み、人生の何たるかをおぼろげながら理解した。そして、迷うことなく、大阪で暮らす道を探し、実現した。開高健氏は、私に人生の作法のみならず、結果としてモノを書いて処世する道の基本まで教えてくれた。感謝、敬愛、憧憬、愛惜…言葉に迷う。

 近年、アパッチ族の末裔とおぼしき人物を熊本で知った。彼の苦難から這い上がった人生を人々は称え、マスコミも追っかける。学校で講演をさせる。それもいいが、他人の人生を単純に類型化するのは傲慢なことではないのだろうか。

 私は、ひたむきな努力家で、しかし猥雑で寂しさも隠しきれず、時にはヒョウのような目も光らせる男を畏敬しつつ、共に飲む。戦後の大阪の臭いがする。人間の臭いがする。彼は、街角では、少年のような表情をして、おいしいケーキを売っている。

     

                               (熊本日日新聞 編集委員)